インタビュー

苦しんで生み出したモノほど
将来、大きな誇りとなる。

名古屋大学大学院
医学系研究科
神経遺伝情報学 教授
大野 欽司 PROFILE ※2014年3月当時

コンピュータが大好きな、
ハイテク医学部生だった。

医師になろうと燃えて受験勉強を頑張る…私は、そういうメンバーとは少し違った医学部志望者でした。コンピュータが大好きで、高校3年の夏まで情報工学の道に進もうと考えていたのです。しかし、石油ショックがあり就職難の時代に突入。知人から「工学部に入っても就職先がないぞ」という助言をもらいました。その方は、工学部を出てから医学部に入り直したのですが、私もなんとなくそれは説得力があると思い、医学部を受験したわけです。 私のコンピュータへの興味は、医学部に入ってからも続きます。名古屋大学医学部入学後も、コンピュータ研究所に行き、医療情報システム用の言語仕様書をつくっていました。自分で黙々と追究することが好きだったんですね。好きすぎて、卒業する時には周りから「医学部情報工学科」と言われたぐらいです(笑)。実は、現在もプログラムを書いているんですよ。医師で、教授。しかもプログラマー。こういう要素を持った人間は、ちょっと珍しいんじゃないかと思います。

学問的に患者さんを診ていた、
臨床医時代。

情報工学と医学の2つの分野に興味を持っていた私ですが、医学部を卒業してから2年間は循環器内科へ、その後3年間は神経内科の臨床医として仕事をしていました。循環器内科から神経内科に移ったのは、バックグラウンドに「研究」が感じられたから。神経疾患を深く掘り下げ、神経のメカニズムを追究していくことがやりがいでした。
臨床医であっても、研究を経験した人とそうでない人では診療の仕方が異なります。前者は、前例のない事態に遭遇した時は論文を読みあさり、調べに調べる。一方後者は、これまでの臨床の事例(エビデンス)に則って治療を行うのです。どちらの方が患者さんにとって望ましい治療ができるか、と言われれば前者だと思います。このように、臨床に携わる者であっても、研究を経験することによって、新しい発見ができるという自己満足があるだけでなく、患者さんにとっての最大の満足をつくることができるのです。

研究の場は、
命を救う方法を生み出す“第一線”。

研究生活を続けていると、この世で自分しか知らない事実が見えてくる瞬間がある。とても喜ばしいことです。ゼロから、自分の頭をフル回転させて探し当てた、光るもの。そういう発見を単純に喜ぶ人間が、研究者に向いていると思います。それと何より、“へこたれない”ことが大切。以前、企業の研究者と話していて興味深いことを言われました。「先生たちは失敗を前提に研究しているけど、企業ではそうはいかない」と。新製品の開発には失敗がつきものです。でも、企業の研究者たちは短期間で成果を上げ、売り上げに貢献しなければならない。とてもハードなことだと思います。私には企業で研究した経験はありませんが、大学病院の研究者にも、特別な使命があると考えています。研究結果があと1日早く出ていれば、患者さんの命は助かったかもしれない、という生死に直結する仕事。だからこそ、私たちも99.9%の失敗をものともせずに、0.1%の可能性を信じて取り組まなければいけない。失敗に落ち込んでいる暇はありません。

知的好奇心を持って、
人類に役立つことを模索しよう!

医師国家試験の合格者養成校のような医学部が多い中、名古屋大学の場合は比較的研究志向が強いと思います。もちろん、国家試験に合格することは大切で、批判すべきことではない。しかし、せっかく大学というアカデミックな環境にいるのだから、基礎研究の世界に足を踏み入れずに卒業するのはもったいないと感じています。幸い、名古屋大学は関連病院の数が多いため、研究生活を経験してみて、やはり自分が行くべきところは臨床だと思ったら活躍の場は豊富にあります。だから、不安がらずに、研究という道をもう少し身近なこととして捉えてください。自分が発表した論文は、後々残るもの。生きている以上、自分が歩んできた証を残したいと思いませんか?若いみなさんには、研究生活を通して人類に役立つことを考え抜いたという経験が、将来大きな誇りとなるということを、伝えたいと思います。