インタビュー

臨床でも基礎でも
仕事の核心は自ら「問う」こと。

名古屋大学大学院
医学系研究科
細胞生物学 教授
宮田 卓樹 PROFILE ※2014年3月当時

私の「発生」パート1:大学入学まで

私は現在、脳の発生を研究しています。からだや臓器はすべて細胞がつくっていますが、「発生」という過程は受精卵からはじまる時の流れの中で細胞たちがいろいろに異なる運命を選び、目的に応じて集まりながら、社会をつくり上げていくという現象です。その間の細胞たちのふるまいは、親細胞からゆずり受けた「特徴」、すなわち生まれ持った内なる性質と、「環境」、すなわち外から教わったことがらの両方によってうまく調節されます。私がなぜ今このように基礎医学研究をしているかと、私自身の「発生」を思い起こしますと、子どもの頃、生き物が好きであったということに行き着くかもしれません。虫をつかまえて図鑑で名前を調べるということを1人でやっていました。飼うことにはほとんど失敗しましたが、生き様を見るということは好きでした。大学への進路を考える頃に医学部を選んだのは、4歳で父が病死したことに何となく間接的に影響されているのだと思います。でも、あまり将来を深く考えないままに地元の高知医科大学(現高知大学医学部)に入学した記憶があります。ただ、大学入学時のプロフィール集に「病理医になりたい」などと書いていたので、「病気を調べる」ことを少し気にかけていたのかもしれません。

「研究」との出会い

医学部講義の「解剖学」では「つくり」がうまく「働く様子を「生理学」で教わり、その巧みさに感心し、時に体験する「分かる」瞬間をうれしく思いました。生理学の実習中に、小川正晴先生の雑談で「副腎髄質(アドレナリンのつくり主)」細胞があるしかけによって「ニューロン(神経細胞)」に運命を変えるのだと教わり、「へえっ!!」と感激しました。また、細胞を飼う(培養する)様子を見せてもらって興味を覚え、4年生頃から小川先生の研究室に居候をはじめました。「やりたいことがあれば手伝う」という姿勢で、特に先生からテーマを与えられはしませんでした。ただ、私なりに先生が何を考えて実験をしているのかを想像し、時に尋ねるというやり方で「現場」に触れていました。関連することがらを図書館に行って調べることもありましたが、文献リストを頼りに田舎の大学生が過去の外国の研究者の報告に触れられるということを素敵だと思いましたね。ある論文から、その研究の前提となった論文へ「ハシゴ」できることにもわくわくしました。

臨床医としての勤務と基礎の選択

とはいえ、6年生時点で基礎研究に飛び込む勇気はありませんでした。臨床実習を体験したばかりで「臨床をしたい」という気持ちがはるかに強く、母校の耳鼻科の研修医になりました。齋藤春雄教授は、学部の時に最も厳しく学生の自主性を促し、その不足を指摘する方でした。研修医に対しても同様でした。術前・術後、外来などでの「個」による見守り・問いかけを鍛えられました。 2年の研修期間が終わる前に「その後」をじっくり考え、学部のときに少し体感した基礎的な研究の方が自分には向いていると結論し、生理学の大学院生として小川先生のそばで研究をはじめました。全国規模の学会などに行くと、同い年の理学部や農学部出身の人が自分より2年+2年=4年も早く研究の舞台で活躍していることに気後れするところもありました。小川先生に「何をやりましょうか」と尋ね「俺と違うことをしろ」と言われ困ったこともありましたが、突き放しのおかげで自分が「主治医」となる独自の培養法を開発する意欲を持つことができました。観察相手のそばに「へばりつく」ことは臨床体験で身についた私の個性であり、「4年」は決して基礎研究者として「遅れ」や「不利」ではなかったと、かなり後になってからでしたが、思えるようになりましたね。

私が基礎研究をする理由

人間は「知」を積み重ね、リレーをしながら生きています。私はこのことを素晴らしいことだと思います。先人の努力の賜物として教科書の記載があり、病気の原因が分かっており、現代の治療法があります。どんな「今」の眼前にも「未知」が広がっています。何かが見えたらすぐ次の疑問が湧きます。今に生きる私たちは、「今でこその問いを持ち、それに挑む必要があります。プロとして給料をいただいて基礎研究をするようになってから、50年前、100年前の先駆者に対して恥ずかしくないように、という考えを持つようになりました。「個」の問いをすることで、時を越えて先人とも出会いますし、当然現世の地球の反対側とも通じ合い、時には競い合うこともできる。厳しいけれど、とてもやりがいのある道です。たとえ患者さんの役に立つのがずっと先であろうとも、今の研究なしにはその日は来ないという基礎研究もあります。そこまで待たなくても、「公」の場に船出した(「publish」された)自分の論文が、すぐ誰かに引用され、誰かによる新しい問い・研究の足場として役立つこともある。確かに「バトンを持って走った」と本当にうれしく思えます。走り出そうと「問う」こと、それはとにかく、尊いことだと思います。