名古屋大学大学院
医学系研究科
生体反応病理学/分子病理診断学 教授 豊國 伸哉
名古屋大学医学部の学生時代には、少し研究に興味があって研究室に通っていました。学生でありながら、専門的な世界に首を突っ込んでいたわけですが、厳しい指導について行くのに精一杯で、卒業したらもう二度とここには来ないだろうと思っていました(笑)。だから、卒業後は将来医師になるだろうと思い、臨床研修に励みました。患者さんから感謝されることの喜びは、すごく感じていましたね。でもその一方で、病気がいかに治せないものかということを知り、自分のやりたいことに対する時間が自由に使えないことに対してだんだんフラストレーションもたまっていきました。それで結局、研修の2年間を終え、大学院に進むことにしたんです。
私が、臨床と研究の場を両方経験して思うのは「ミス」の捉え方が真逆であるということです。臨床での「ミス」は、人の命に関わるもの。一方の研究での「ミス」は、新しい発見の第一歩になり得る。「ミス」から研究の手がかりを見つけ出すことが出来るんです。「ミス」をネガティブに見るか、ポジティブに見るか、同じ医療の道でも違いがあるんですね。
また、教科書を勉強するのが臨床医なら、研究者は、教科書に書かれる仕事をする、というのも違いだと思いますね。成果を出すのはなかなか難しいけれど、成果が出た時の喜びは、何ものにも代えがたいものです。「1000回に1回の失敗も許されない臨床、1000回に1回成功すれば評価される研究」とは京都大学の萩原正敏教授のおっしゃっていたことですが、まさにその通りだと思います。
大学受験に受かった時より、宝くじより・・・は、まだ当てたことがありませんが(笑)、とにかくどんな経験よりもうれしかったことがあります。
一つ目は、大学院生の時でした。その頃は東京にある杏林大学にいまして、週に一度東京と名古屋を行き来する、多忙な生活を送っていました。ある時、シンチレーションカウンターから出てくる実験結果を見て目が点になったんです。自分の立てた仮説がものの見事に的中していたんです。世界で前例のない実験であり、大きな仕事の結論を決定づけるようなものでしたので、それはかなり驚きました。いつもは杏林大学のある吉祥寺でラーメンを食べてから、新幹線で寝ながら名古屋に帰っていたのですが、その時は吉祥寺のバス停でも、新幹線に乗ってからも、くまなく過去の実験結果を見直し、ぬか喜びでないことをしっかり確認して名古屋に戻りましたね。
もう一つは、私たちの研究している分子「Girdin(ガーディン)」が、統合失調症の原因遺伝子との共通点があることを見つけた時です。夜中の2時だったでしょうか。深夜の静かな研究室での突然の出来事で、周りに誰もいなくてこの喜びを分かち合うことが出来ませんでしたが(笑)、とにかくとにかく、うれしかったですね。
こんなふうに、研究者は毎日のビールはあまりおいしくないかもしれませんが、最高の日が訪れるんです。それが私が研究をやめられない理由の一つだと思います。
研究結果が出た時はもちろんうれしいですが、誰かに認められる、というのも、とてもうれしいものです。私は東京と名古屋の往復生活を終えて学位をとってからも、再度、このまま研究を続けるか、臨床に行くか、迷っていました。その時、名古屋大学呼吸器内科学分野の長谷川先生に、「どんなに苦しくても、誰かがどこかで見ている」というお言葉をいただきました。素直にお言葉を受けとり、研究の道に進み、今に至るのですが、論文を国際的な学術誌に投稿して、たとえ批判を受けても、自分が評価されていることが感じられて、とてもうれしく思います。研究は、人がつくった知識を使うのではなく、自分で新しい常識をつくりあげるもの。その毎日に孤独に感じることがあるからこそ、誰かに認められたとき、ほっとするのかもしれません。私も最近指導する立場を任されていますが、なるべく学生の意見を否定せず、極力、夜遅くまで残っていて研究に真剣な彼らの質問に答えてあげられるようにしたいと思っています。
人から認められる、というお話は、実はもう一つあります。かつて、臨床研修をしていた時に、先輩から「将来、どういう道に進むにしろ、同期から認められる人になれ」と言われました。上の人から認められるには、言われたことを真剣にやる。下の人から認められるには、丁寧に指導する。でも同期って、ライバル意識があるからなのか、本質で相手を見ていると思うんです。真にすごいヤツにならないと、認められない。だから、臨床に進むのであれ、研究に進むのであれ、同期に認められたいというのはずっと思っていますね。
この前、岡崎にある生理学研究所※でセミナーをする機会がありました。私はそこの近くにある岡崎高校出身で、当時からその研究所に憧れを持っていたんですね。生物学の先生に「あんなところで働きたいです」と言ったら「それは相当勉強しないと」と笑われたのを覚えています(笑)。だから、研究者として訪れることが出来た時は感慨深いものがありましたね。私は、これから医療の道に進む人たちに研究だけの世界に来てほしいとは思わないです。病気のメカニズムは臨床で知ることが出来ますし、なんと言っても目の前の患者さんを救うことができます。でも、研究という世界がどんなものか知らずに臨床だけに進んでしまうことは、さびしいと思っています。若い人たちは、一度きりの人生なのだから、もっと迷って、たくさんの笑いや涙とともに医学の道を歩んでください。 ※ 大学共同利用機関法人 自然科学研究機構 生理学研究所